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「鱗の輝き」-料理長の昭和日記 【昭和36年10月2日】

半日休みをくれた。ここに来て初めての休みだ。
仕込が終わって、めしの時煮方さんから云われた。おやっさんに休みをもらった挨拶をして外に出た。

大きな声で叫びたいほど嬉しくて仕方なかった。
散髪 280円  高下駄 500円
映画を観て、めしやを出たらもう辺りは暗かったが、金がある休みなんて初めてのことで、そのことが何より嬉しい。

この店は、おやっさん、煮方さん、向板さん、私、それに見習いの子と5人の料理人しか居ないので、私の手に負えない位の内容と量を毎日こなさねばならない。一日中手を使っているので、指先や手のひらが腫れてしまうのだが、大阪時代のように口汚く罵られたり水をかけられたりすることもなく、身体は大変でも気持ちはとても前向きになれることが嬉しい。

大阪の2年間は左利きを直すことと、生まれ変わったつもりになって性格を直し、真面目になることで必死だった。もともと、字を書いたり絵を描いたりするのは右だったので、全くの左利きの人よりは多少直るのは早かったような気がするが、力のいる事は右では出来ないので困る。
包丁はともかく、性格は急には直らないもので、上の人から怒鳴られるたびに、目つきが変わる自分に気づいていた。
とはいっても、他の者のように殴られたりすることはなかったのは、手に負えなかった少年時代の名残のせいだったのだろうか?

「我が子と決別する」厳しい目で見送ってくれた母の表情を何かの拍子に思い出す。短気をなおして早く母を安心させなくては・・・

この世界で修業した者なら、私の2年間の苦労などは別にめずらしいことでもなんでもないことで、むしろ私などは仲間に「お前は得な奴やなあ」と云われるぐらいで、まだましな方だったのかもしれない。

ある人の本に「人間は本当に辛い経験は。口にしないものだ」と書いてあった。私の父はシベリアでの4年間を子供たちにはほとんど語ることはなかったが、そういうものかと思ったら、料理人の見習いなんて屁みたいなものと思わねばなるまい。
食べさせてもらって、住まわせてもらって、その上仕事を教えてもらい、わずかながら小遣い銭までくれるんだから。

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